【遠くの穴場に行きたい】乗りたかった近江鉄道でローカルな楽しみを満喫する

旅行

とてつもないネーミングの駅

私(吉池太一)は、朝5時に家を出て東京駅から東海道新幹線に乗り、米原に着いたのは午前8時だった。そこから近江鉄道に乗り換えた。巨象の世界から蟻の世界に移り住んだかのようだった。近江鉄道の米原駅は本当に小さな駅だった。

米原駅を出発。2両の電車の中に乗っていたのは14人だけで、すべて男性だった。午前8時台の電車だけに高校生が多いのかと思ったが、女性は1人もいなかった。次の駅は「フジテック前」。そこで12人の乗客が降りたため、残ったのは、私を含めて2人だけだった。駅名になっているフジテックはエレベーターの会社のようで、そこに勤務する人たちが電車に乗っていたのだ。

その次の駅は「鳥居本」。私以外のもう1人が降りたので「いよいよオレ1人かな」と覚悟したら、新たに7人が乗ってきて、そのうち4人が女子高校生だった。こんな人数を正確に調べている私もよほどのヒマ人である。

朝のラッシュ時間にこんなガラガラで、「近江鉄道の経営は大丈夫なのか」と勝手に心配していたら、彦根駅で大勢の人が乗ってきて、2両の車内は乗客であふれんばかりになった。

「やっぱり、朝の電車はこうでなきゃ」

そう思いながら車内で路線図を見ると、「スクリーン」という駅がある。一体どんな由来が?と気になって近くの人に聞いてみたら、大日本スクリーンという会社が駅の近くにあり、その社名の一部を拝借したらしい。とてつもないネーミングだと思った。しかも、乗っている乗客のほとんどが「スクリーンで降りる乗客だ」と聞いた。近江鉄道としても、運賃収入の拡大に貢献してくれる会社に駅名で敬意を払ったのかもしれない。

近江鉄道の経営が心配

私は八日市方面に行くので、その電車から別の電車に乗り換えた。今度は東海道新幹線とピッタリ並行して線路が続いている。車両の一番前で運転席を覗いていたら時速は70キロ出ていたけれど、隣で新幹線が通過すると、もろに風圧を受けるような気がした。鉄道の世界で、現代と中世が同居しているような感じだった。

それより、近江鉄道の車両はどう考えても、関東の西武鉄道の車両とまったく同じに見える。そのことが不思議でやはり聞いてみると、近江鉄道は西武鉄道のグループ会社だという。西武鉄道を創業した堤家が近江の出身だそうだ。

「なるほど、近江商人の血を受け継いでいたわけか」

妙に納得してしまった。

電車は八日市駅に着いたが、私はそこでまた乗り換えて、近江鉄道の貴生川方面に行く電車に乗った。これも2両編成だったが、今度こそ乗っていたのは私だけ。他の乗客は影も見えなかった。

思わぬ貸し切りになって嬉しいというより、またまた「近江鉄道の経営は大丈夫かな」と気になった。私が心配してもどうしようもないのだが……。

東京ではなかなか食べられないもの

近江鉄道からJR、近鉄を乗り継いで、途中で寺や神社を回ったあとに大阪の鶴橋に出た。やっぱり大阪らしいところで一杯やろうと思い、鶴橋のガード下の「源氏」という串揚げ屋に入った。立ち飲みの店で、すごく繁盛していて、次から次へと客がやって来る。しかし、みんなテンポが良すぎるというか、串揚げとおでんを食べてグイッとビールや日本酒を飲んだら、さっさと出ていってしまう。その入れ代わりの速さは、さすが大阪だと思った。

店は「コ」の字型のカウンターになっていて、接客は40歳前後のダンナが仕切っていた。

驚いたのは、60代の男性が客として入ってきても、ダンナが「にいちゃん、ここ空いてるで」と言っていたこと。親の年代の客ににいちゃんと呼びかけるのは、どう考えても大胆。やっぱり大阪はすごい。

私は、東京ではなかなか食べられないものを物色し、ハモの串揚げとドテ焼きを食べた。これが本当に旨かった。「源氏」と言う立ち飲み屋に入って本当に良かった。

文・写真=吉池太一(旅行ライター)

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