山谷堀から待乳山聖天に入っていく
東武線浅草駅のすぐ横にある隅田公園。ここから隅田川沿いを北上すると、10分ほどで今戸橋に出る。橋とはいっても、下に川は流れていない。今は埋め立てられていて遊歩道になっているのだ。
その川の江戸時代からの通称名は山谷堀だった。ここは吉原に出掛ける道程の一つで、船を仕立てて川を上って吉原に入るというのは贅沢のきわみだったことだろう。
私(康熙奉)は、遊歩道になった山谷堀を少しだけ歩いてから待乳山聖天に行く。小さな丘の上に本殿がある。ここでは、お供えする生花の横に大根が1本300円で売られている。「なんで大根なのか?」と思って近くにいた人に聞いてみたら、大根を本殿の祭壇にお供えするそうだ。
「大根とは珍しいですね。なんで大根なのですか」
そう尋ねると、「細かいことはここに書いてあるので、これを見てください」とパンフレットを渡された。そこに次のように書いてあった。
「大根は人間の深い迷いの心、瞋(いかり)の毒を表すといわれており、大根を供えることによって聖天さまがこの体の毒を洗い清めてくださいます。そしてその功徳によって、身体を丈夫にしていただき、良縁を成就し、夫婦仲よく末永く一家の和合を御加護頂けます」
読んで「なるほど」と思った。大根は、おでん、おろし、ブリ大根にして食べても旨いし、健康にもいい。飲み過ぎで荒れた胃をやさしくしてくれる効果もある。いわば、癒しの野菜なのだ。
とはいえ、大根を神仏に供えるということを初めて聞いた。韓国の寺でお米を供えるのをよく見てきたが、それに近い考え方だ。十分に納得できたので、300円で大根を買ってから本殿に入り、祭壇にお供えした。すでに50本くらい大根が供えられていた。
東京スカイツリーがよく見える丘
本殿を出て、私は隅田川の方向に行く。丘の上に立っていると、隅田川の先に東京スカイツリーが大きく見える。江戸時代にここは隅田川をよく見渡せる場所だったという。今は周囲に高い建物ができて隅田川を見通せないが、その代わりに、東京スカイツリーを見るのに最適な場所になった。
浅草にある唯一の丘が待乳山聖天。そこから見る東京スカイツリーも格別だった。帰りに本殿の前を通ると、斜め前に待機所のような小屋が見えた。その壁に木札がかけてあって、「お下がりのお花です。ご自由にお持ち下さい」と書かれていた。そのとなりには白い紙がガムテープでとめられている。そちらには「大根は、御一人様一袋でお願いします」とある。
この表示によると、祭壇に供えられた花や大根は、この小屋の前でお下がりになるようだ。大根の場合は、わざわざ「御一人様一袋」と表示しなければならないほど何袋も持って行ってしまう人がいるのだろう。
浅草寺に出て境内で飲む
寺務所の前に作務衣を着た人がいたので声をかけてみる。
「大根はいつ頃お下がりになるのですか」
「前の日のものが翌日には……」
「何時頃来れば、いただけますか」
「まあ、早い人なら朝6時頃ですかねえ」
そんな話を聞きながら待乳山聖天を出てから私は10分ほど歩いて浅草寺に出た。参拝客の多さを頼もしく感じながら、境内の露店が用意しているテーブル席でおでんとビールを飲む。
「これも縁だわね」
「うん、とてもいい縁だ」
そばにいた50代の男女がそう話し合っていた。
いい言葉じゃないか。浅草には「とてもいい縁」というセリフがよく似合う。
文・写真=康 熙奉(カン ヒボン/作家および韓流ジャーナリスト)


