韓国ドラマ界には数多の才能ある俳優が存在するが、シン・ヘソンほど底知れぬポテンシャルを秘めた女優は稀有である。爆発的な人気を博した時代劇コメディ『哲仁王后~俺がクイーン⁉~』を視聴し、私はその思いを確信へと変えた。本作は、現代を生きる凄腕の男性シェフの魂が、19世紀の朝鮮王朝時代の国母・哲仁(チョリン)王后の体に入り込んでしまうという奇想天外な物語だ。
しかし、私がここで語りたいのは、この奇抜なあらすじの顛末についてではない。非日常的な設定を「極上のエンターテインメント」へと昇華させた、シン・ヘソンという女優の凄まじい表現力と、作品に向き合う真摯な姿勢についてである。
「男の魂」を全身で体現する、鳥肌ものの演技力
哲仁王后といえば、本来ならば気品にあふれた貞淑な女性である。そこに、現代社会を気ままに生き抜いてきた、血の気の多い遊び人男性の精神が同居するのだから、そのギャップは凄まじい。この前代未聞の難役を、シン・ヘソンは圧倒的なエネルギーで演じ切った。
彼女の口から飛び出す言葉は王室の人間とは思えないほど乱暴であり、日常のちょっとした仕草や歩き方までもがことごとく粗野である。厳格な規律があるはずの宮廷内を、チマチョゴリの裾をまくり上げて猛スピードで駆けずり回る。行く先々で周囲を巻き込む大騒動を連発するその破天荒な姿は、外見こそ美しい女性でありながら、中身は完全に「成人男性」そのものであった。
もしも可憐な女性の内部に男性の魂が入り込んだらどうなるか。一歩間違えれば単なる滑稽なコント劇で終わってしまう危険性すらある設定だ。しかし、彼女が全身で表現するコミカルな動きの数々は、視聴者に違和感を抱かせるどころか、大爆笑を誘う最高の喜劇として成立していた。この極端なキャラクターに血を通わせ、画面の中で躍動させた彼女の卓越した演技力には、ただただ圧倒されるほかない。
役柄への没入が生み出す、表現力の劇的な進化
私が本作を通して最も強く感じたのは、シン・ヘソンの表現力がさらに一段高い次元へと進化したという事実である。彼女はこれまでも、与えられたキャラクターに自らの熱い体温を移し、リアルな人間像を構築できる稀有な役者であった。しかし、近年の彼女の活躍を見ていると、その演技の幅と深みは私たちの想像をはるかに超えて広がっている。
例えば、ドラマ『サラ・キムという女』において、彼女は虚飾にまみれた主人公をまるで七変化のように演じてみせた。「現実にもこんな底知れぬ女性が絶対にいるはずだ」と視聴者に確信させるほどの凄みと、画面から伝わる圧倒的な緊迫感は記憶に新しい。
『サラ・キムという女』で見せた息を呑むようなシリアスな狂気から一転、『哲仁王后』では腹を抱えて笑ってしまうほどの振り切ったコメディエンヌぶりを披露する。この両極端な役柄を完璧に成立させているのは、ひとえにシン・ヘソンの並外れた集中力と、人間の複雑な内面をすくい取る深い洞察力の賜物である。彼女は単に「役を演じている」のではない。その人物の魂そのものを自身に憑依させ、表現の限界を軽々と突破していく。その進化の過程を目の当たりにできること自体が、ドラマファンとしての大きな喜びである。
喜劇の裏に隠された、真摯な姿勢への深い感動
『哲仁王后』は間違いなく腹を抱えて笑えるコメディ作品である。しかし、私がこのドラマを見終えて胸に抱いたのは、笑い疲れた後の爽快感だけではない。コメディというジャンルにおいて、ここまで自身のイメージをかなぐり捨て、体当たりで役柄に挑むシン・ヘソンの「真摯さ」に対する深い感動であった。
人を笑わせる演技というのは、実は人を泣かせる演技よりも遥かに難しいと言われている。計算された間合い、思い切った身体表現、そして何より、役柄に対する照れや迷いを一切捨てる覚悟が必要だからだ。宮廷内で奇行を繰り返す哲仁王后の姿からビシビシと伝わってくるのは、作品をより面白くしよう、視聴者を楽しませようとする彼女の並々ならぬ情熱である。一つ一つの突飛なシーンに深い魂を注ぎ込む彼女の真摯でストイックな姿勢があったからこそ、このドラマは単なるドタバタ喜劇を超えて、無類の面白さを誇る傑作時代劇へと昇華したのだ。
文章執筆=康 大地(こう だいち/韓流ジャーナリスト)
写真撮影=ハン・スンウン(フリーランス・カメラマン)



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